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更新日付:2021年6月23日 / ページ番号:C080763
JR北浦和駅西口の、国道17号線に面した三角地点の植栽の中(浦和区常盤9丁目)に、「浦和宿石橋と供養仏」と呼ばれる小さな石柱が建っています。
美しい植栽に覆われて、今では全体像を見ることができなくなってしまっていますが、江戸時代の宝暦12年(1762)に新しく造った石橋と、修理を行った道路が、末永く守護されることを願って立てられた供養塔ということが銘文から知られます。
浦和宿石橋と供養仏
(現況とは相違しています)
石橋は現存しませんが、かつて中山道から分岐して与野町へ向かう途中、浦和区針ヶ谷方面から流れてくる排水路に架けられていたものといわれており、当時とほぼ同じ場所にこの供養塔だけが残っています。
この供養塔は道標も兼ねており、「是よ里(り)与の川越道」と刻まれています(全体の銘文はこちら)。
つまり、ここから与野川越道が始まるということになります。
では、江戸時代の与野川越道とは今のどこを通っていた道なのでしょうか。
浦和から与野方面へ、つまり東から西へ歩いてみることにします。
『中山道分間延絵図』(文化3年(1806)に完成)を見ると、浦和宿の北のはずれの「宿入口定杭」と「一里塚」の間に、中山道から西へ分岐する小道が描かれ、「与野町一里」と記載されています。
これが与野へ向かう道で、「与野道」の始まりといっていいものです。
この中山道との分岐点は、現在の中山道から新浦和橋南側で西へ入る一本の道のある場所と考えられます。
写真中央から奥(西)へ入る道が与野道の始まり(車の右側)
下は中山道(右が大宮方面)、右は新浦和橋。
実はその分岐点は、『ノンちゃん雲に乗る』で有名な児童文学者石井桃子さんの生家の場所です。
かつては「是よりよの 川越 秋葉道」と彫られた文化元年の庚申塔が建てられていましたが(『うらわ文化』第116号「常盤二丁目の庚申塔について」や『石井桃子in浦和』石井桃子の会 参照)、現在では並んで建てられていた不動明王像とともに、市立浦和博物館に移築されています。
中山道から与野に向かう人が目じるしにしたのが、この道標を兼ねた庚申塔かもしれません。
文化元年の庚申塔(右側面に是よりよの 川越 秋葉道と彫られる)
また、不動明王像は石井桃子さんの記憶にも刻まれていたようで、『幼ものがたり』(石井桃子著、福音館書店)の中の「早い記憶」という章のタイトルページの挿絵にも描かれていることが指摘されています(『『幼ものがたり』探査-浦和・中仙道の端で-』ライブラリー・アド・サービス)。
庚申塔とともに並んで建てられていた不動尊
『幼ものがたり』の挿絵の不動尊
さて、「与野道」は中山道から西へ分岐した後、まもなくして北へ折れ、(新浦和橋によって分断されているものの)中山道とほぼ平行に進んだ後、浦和橋南側の交差点(T字路)から西へ向かう小道と合流して、西へゆるいS字カーブを描きながら国道17号線の市指定史跡「浦和宿石橋と供養仏」(文化財紹介はこちら)のある場所へと繋がっています。
ゆるいS字を描きながら西へ進む与野道
この先が、浦和宿石橋と供養仏のある国道17号。
ここから先は、その29 「与野道を歩く(弐)」で与野や川越に向かいます。
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