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更新日付:2021年1月14日 / ページ番号:C070847
江戸時代以来、江戸・東京近郊の名勝地として知られた荒川河畔のサクラソウ自生地は、明治時代末期には、サクラソウの掘り取りや水害などにより、消滅の危機に瀕していました。
大正9年(1920)、田島ケ原サクラソウ自生地は、前年に新たに発足した天然記念物保護制度の対象として、国の天然記念物に指定されました。
この陰には、自生地の保全に尽力した二人の人物がいました。三好学と深井貞亮です。対照的な立場・経歴の二人は、サクラソウ自生地の保存活動を通じて出会い、天然記念物指定を実現させたのです。
自生地を遺したこの二人の人物を紹介します。二人の功績を讃えながら、彼らが傾けた情熱や想いに思いを馳せてみましょう。
※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため施設が臨時休業となったことに伴い、開催を延期しておりましたが、施設が再開したことから、展示を開始いたします。
この間の御理解、御協力に感謝申し上げます。
期 間:令和2年6月1日(月)~6月30日(火)
9時~16時30分
休館日:月曜日(6月1日を除く)
会 場:さいたま市立浦和博物館
(さいたま市緑区三室2458)
荒川河畔のサクラソウ自生地が次々と衰退していく中、土合村(現在の桜区の一部)のサクラソウ自生地の保全に尽力した、二人の人物がいました。三好学と深井貞亮です。
三好学は、「官学アカデミズム」からサクラソウとその自生地の重要性に注目し、さらにその発言力を活かして天然記念物保護制度の創設を実現しました。
深井貞亮は、自生地の地元、北足立郡土合村大字田島の「名望家」の出身で、土合村政にも関わる傍ら、地域の中でサクラソウ自生地の保全と活用の活動を地道に続けていました。
対照的な経歴・立場の二人は、サクラソウ自生地の保存活動を通じて出会い、ちょうど100年前に天然記念物第1号として、国指定を実現させました。
サクラソウ自生地の国指定 100年の大きな節目を迎えるにあたり、その端緒を開いた二人の熱意と尽力をぶり返り、その功績を市民の皆さまにお知らせしたいと考え、この展示を開催します。
三好学は、学術と国のしくみの面から田島ケ原サクラソウ自生地の保存を実現した功労者です。明治時代後半から大正時代にかけて、東京帝国大学理学部教授として植物学研究・教育の確立に尽くし、そのかたわら、明治時代末頃から、社会の近代化に伴う自然的景観や貴重な植物の消滅の危機を訴え、天然記念物保存制度の創設に奔走しました。
三好学肖像写真 東京帝大教授当時・大正年間頃/さいたま市教育委員会
主な展示史料 三好学著作 など
三好学年譜 こちらをご覧ください☞学と貞亮 年譜集 03三好学年譜(PDF形式 1,056キロバイト)
ホームページ版の特別展示 若き日の三好学 こちらをご覧ください☞準備中
深井貞亮は、地域の中でサクラソウ自生地の保全に取組み、田島ケ原サクラソウ自生地の天然記念物指定を実現させた功労者です。20代で土合村田島地区の区長、30代には村長や村議となるなど、土合村政の要職を歴任する有力者でした。その傍ら、衰退の危機を迎えつつあった田島ケ原の保存に取組み、天然記念物指定が実現した後も保存と活用の第一線で活躍しました。
深井貞亮肖像画 土合村村長当時・昭和17年頃/さいたまアーカイブズセンター
主な展示史料 「深井貞亮書簡」「私は桜草であります」 など
深井貞亮年譜 こちらをご覧ください☞学と貞亮 年譜集 04深井貞亮年譜(PDF形式 637キロバイト)
ホームページ版の特別展示 深井貞亮土合村村長は第何代? こちらをご覧ください☞準備中
二人の出会い -天然記念物指定への道-
三好学は天然記念物保存の機運を高めるため、先行していた「史蹟」保存運動とも連携して、学会や政界に働きかけ、さらに一般向けや児童向けの雑誌にも寄稿して、自然的遺産の大切さとその保存制度創設の必要性を説きました。こうした努力が実り、明治44年、帝国議会において「史蹟名勝天然紀念物保存ニ関スル建議」が議決されました。これを受け、政府は法制度の制定に向けた準備を始めるとともに、府県を通じて指定対象候補の調査に乗り出しました。
こうした動向のもと、大正元年(1912)、田島ケ原のサクラソウ自生地が保存対象となる「名勝地」として報告され、さらに、自生地の衰退を憂慮していた深井貞亮が三好学のもとを訪ねて、田島ケ原の自生地の存在を知らせその意義について意見交換を行いました。三好学は、チャールズ・ダーウィンの研究などからサクラソウの繁殖や個体の特徴を早くから知っていましたが、当初、彼が取り上げていたサクラソウ自生地は、既に衰退した浮間や戸田原でした。深井貞亮の働きかけで田島ケ原を知ると、大正5年4月、深井の案内で現地を訪れ、その重要性を確認しました。この時には、天然記念物保存制度の準備中でしたが、植物に関する制度設計と対象の選定を事実上進めたのは三好学でした。深井貞亮と出会い、そして現地を訪れたこの時、田島ケ原保存への道が一気に開けたのでした。
深井貞亮肖像画 土合村村長当時・昭和・大正年間頃/さいたま市教育委員会
主な展示史料 「天然紀念物指定通知」「天然紀念物調査報告 桜草ノ自生地ニ関スルモノ」 など
田島ケ原サクラソウ自生地年譜 こちらをご覧ください☞学と貞亮 年譜集 02田島ケ原サクラソウ自生地保護年譜(PDF形式 1,072キロバイト)
ホームページ版の特別展示 大正から昭和戦前期の史料からみた田島ケ原サクラソウ自生地 こちらをご覧ください☞準備中
■100年前の自生地 展示室
こちらをご覧ください☞100年前の自生地(PDF形式 1,873キロバイト)
100年前の自生地展示解説シート(PDF形式 2,342キロバイト)
■学と貞亮 -自生地を遺した二人- 展示室
こちらをご覧ください☞学と貞亮 展示パネル(PDF形式 1,960キロバイト)
学と貞亮 展示解説シート(PDF形式 2,384キロバイト)
■田島ケ原サクラソウ自生地 -現在・過去・未来‐ 展示室
現在準備中
教育委員会事務局/生涯学習部/文化財保護課
電話番号:048-829-1723 ファックス:048-829-1989
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