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更新日付:2022年6月7日 / ページ番号:C089081
見沼通船堀を使用した見沼通船の重要な荷物は年貢米でした。見沼新田や周辺の村々で収穫された米の一部は、年貢米として江戸へ輸送されました。年貢を輸送した川船は、江戸から見沼新田周辺に別の荷物を運びました。荷物は、荒物・肥料・小間物・魚類などと言われています。そのような江戸からの荷物の多くは江戸周辺で生産されたものです。一大消費地であった江戸は、一大流通都市でもありました。ただし、すべての荷物が江戸周辺で生産されていたわけではありません。全国各地から海上輸送や陸上輸送によって江戸に運ばれてきた荷物も多くあり、それらの荷物が見沼通船で輸送されることもありました。
三室村(現、緑区三室周辺)に伝わる古文書の中には、遠隔地から運ばれてきたことを証明する古文書があります。
さいたま市立浦和博物館所蔵関野家文書(整理番号1626)
翻刻文(PDF形式 81キロバイト)
この古文書の年代は不明ですが、宛名に「江戸神田花房町通船会所高田秀三郎」と書かれていることから、見沼通船の運営を行っていた通船方高田家の四代目秀三郎与成の時代のものであったことが分かります。秀三郎与成が当主を務めていた正確な年代は不明ですが、高田与清が高田家四代目の高田秀三郎の養子となったのが享和3年(1803)であったため、この古文書の作成年代も、おおむねその頃の時期であったと考えられます。
これは筵包櫃荷物2個と斗樽1個の「送り状」で、差出人は伊勢龍太夫内の前田郡右衛門と伊勢山田河崎河岸の星山権兵衛、宛先は江戸の見沼通船会所の高田秀三郎とされています。龍太夫は伊勢神宮の外宮の有力な御師(おんし)で山田三方(さんぽう)という地域の年寄を務める家でもありました。龍大夫は武蔵国と下総国に主な伊勢信仰にかかる配札地域を持っており、埼玉県内にも龍太夫が発行した領収書が確認されているなど、武蔵国の伊勢信仰とも関わる人物でした。前田郡右衛門については他に記録がありませんが、龍太夫の関係者とみられます。星山権兵衛は伊勢山田の河岸場として有名な河崎の年寄を務めるなどの名家でした。今回の荷物の積み出しなどに関わっていたのでしょう。
次に輸送経路についてみていきましょう。
伊勢神宮の門前町から、江戸の通船会所に送られた荷物の中身は不明ですが、有力な伊勢御師から送られた荷物であることから、伊勢信仰に関係する荷物だったのかもしれません。
この一点の古文書から、見沼通船に関する様々なことが分かりました。見沼通船の通船会所は神田花房町にありましたが、ここが見沼通船の流通の拠点として機能していたこと、また遠隔地から海運で運ばれた荷物が通船会所を通じて、見沼通船に積み替えられていたことなどが分かります。江戸時代には、全国各地に流通の拠点がありましたが、神田にあった通船会所もまた、流通の拠点の一つだったわけです。見沼通船は通船会所を通じて、全国的な流通とつながっていたことになります。
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